機の音 はたのね

きものに関連する様々なことを書き残すブログです。

きもの文化ノート 本文7-4

きもの文化について自分の参考資料として私見を書いています。本文は順不同に、内容を膨らませながら書いています。参照される方はご了承の上、ご覧ください。なお、無断でのコピーや転載はご遠慮ください。追記・修正箇所は太字・下線にしています。

 
第7章 歴史
 第4節 平安時代

  1 政治経済

    天皇が正式な儀式の時に使った袍の色は黄櫨染色(こうろぜんいろ)です。

  2 文化・美術

    有職文様 公家階級の装束、調度品、牛車などの装飾に用いられた伝統的な文様を総称して有職文様と呼んでいます。立涌文や鳥襷文などが含まれます。

    縫部司(ぬいべつかさ)が京都におかれ、刺繍が衣服の装飾に用いられたのが京繍の起こりといわれます。

    貴族の女児が12~14歳の頃に初めて裳を身につける儀式を裳着といい、その儀式の際に女児の裳の紐を結ぶ役目の人を腰結といいました。

    公家の結婚の形態は、男性が3日間女性の元に通ってきたら「三日夜餅の儀」(みかよのもちひのぎ)と言って盃事を行いました。

  3 着物
    着装 「襲色目(かさねのいろめ)」という配色美が始まりました。

       春の色調 黄柳(きやなぎ) 表が「淡黄」、裏が「青」

       夏の色調 葵 表が「淡青(淡緑)」、裏が「淡紫」

            百合 表が「赤」、裏が「朽葉」

       秋の色調 女郎花

            落栗色 表が「蘇芳」、裏が「香」

       冬の色調 枯色(かれいろ) 表が「淡香」、裏が「青(緑)」

    小袖 貴族は外衣の下に着たが、普段にくつろぐ時の衣装とすることもありました。

    唐衣裳(からぎぬも) 襲着装束(かさねぎしょうぞく)で宮中の女官たちの正装でした。上から錦織の唐衣(からぎぬ)、後ろに長く引く下衣(したごろも)の裳(も)と表着(うわぎ)、そして地紋織の打衣(うちぎぬ)に数枚の重ね着の衵(あこめ)、単(ひとえ)といった袖と形の大きい衣裳を着重ね、その下に丈・裄ともに短い詰袖の対丈小袖を着込んでいました。唐衣裳は公家貴族女性が用いた十二単(じゅうにひとえ)の正式名称です。後世になって単の上に衣を重ねて着ることから十二単という言葉が生まれました。着付けの順番は、肌着(小袖)・紅袴→単→打衣→袿(うちき)→表着→唐衣→裳です。

    小袿(こうちぎ・こうちき) 身分の高い女性たちが日常用または準正装として着用していた、唐衣裳の略装にあたる服装です。一枚をいう場合は表着と同じ形で身丈の短い衣です。

    虫垂衣(むしのたれぎぬ) 公家の女性たちが旅をする際に「市女笠(いちめがさ)」のまわりに下げる、からむし製の薄い裂(きれ)です。夏には毒虫よけに、厳寒の際には、防寒のために用いられました。

    男性の装束 平安時代の貴族は、袍(ほう)、直衣(のうし)、狩衣(かりぎぬ)といった有職装束を用いました。正装である束帯(そくたい)の形は盤領(あげくび)となっています。束帯の着付けは、肌着→大口袴→単→衵→表袴→下襲→裾(きょ)→半臂(はんぴ)(袖の短い衣服)→袍→石帯の順です。冠、鞾(くつ)を身につけ、笏を持ちます。

    水干 一般の男性が着ていた麻の衣服です。糊を付けずに水張りして干して仕立てたことから付いた名前です。軽装で丈が短く、菊綴じという補強を兼ねた房飾りを付けます。平安末期からは武士の正服となりました。

    汗衫(かざみ) 女児の表着です。脇縫いがなく裾が長いものです。元は汗取り用の衣ですが、軽便さが好まれて高級化しました。

    素材 絹が全国に広まりました。

    技法 奈良時代に輸入された夾纈は平安中期以降は衰退しました。

 
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